メガネママの子育てナース道

はじめまして!メガネママと申します。メガネの夫、2人の男児の4人家族。看護師、ちょっとだけカウンセラーとして働いております。子育て、看護、不妊、毎日のあれこれについて綴りつつ、下手くそな絵も描いていきたいです。ちょっと「ぷっ!」と笑える、あなたの笑いの癒し時間になれるようなブログにしていきたいです!

2人目不妊は職業病!?私の2人目不妊の場合。

今日もお疲れ様です。



毎日の雨で頭痛に苦しむメガネママです。ロキソニンを飲み過ぎて胃も痛いメガネママです。
新しいメガネに変えたら、メガネが重すぎて耳と鼻が激痛のメガネママです。(あ、鼻のとこ皮むけてる!)




私は不妊治療の専門施設で数年働いています。不妊カウンセリングもしつつ、看護師として働いているのですが、
2人目は不妊治療で授かりました。体外受精です。1人目は自然妊娠でした。
「まさか私が不妊治療をすることになるとは…。」これが正直な気持ちでした。
2人目不妊になった私の話をしたいと思います。



そろそろ2人目が欲しいと思いAMHを測ったら‥

長男が7ヶ月の時に今の不妊治療専門施設に入職し、2年働いた頃。そろそろ2人目が欲しいと思いました。
「せっかくここで働いてるのだから。」
軽い気持ちで職場でAMHを測定しました。

※AMH(アンチミューラリアホルモン)
発育過程にある卵胞から分泌されるホルモンです。
血中AMH値が原始卵胞から発育する前胞状卵胞数を反映すると考えられております。
その値は、卵巣内にどれぐらい卵の数が残っているか、つまり卵巣の予備能がどれほどかを反映すると考えられています。


すると結果


40代前半!!



「えっっ!!」




正直かなりショックでした。当時は20代半ば。1人目は自然妊娠。
なぜか、私は絶対AMH若いはず!!と確固たる自信にみなぎっていたので、その結果がなかなか受け入れられませんでした。
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大丈夫!と思っていても押し寄せる不安

AMHの結果が悪くても、卵の質が良ければ妊娠できます。ちゃんと毎月排卵していて、卵管も問題なければ、自然妊娠のチャンスは十分あるんです。
でも私は毎日毎日100人以上の不妊患者さんを相手に仕事をし、カウンセリングをし、患者さんの辛さを目の前で見てきました。そして知識がある分、妊娠の難しさも知っています。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながらも、心は不安‥焦りでいっぱいでした。
「私ももしかしたら不妊かも。なんだか妊娠できる気がしない‥。」
なぜか漠然とした不安がありました。


タイミングを繰り返すも全く妊娠しない日々。焦る気持ち。

AMHの結果から、早く妊娠しなくては‥と早速自宅タイミングを開始。排卵検査薬を使って半年、全くかすりもしませんでした。
「やっぱり‥。早く、早くしないと!」
私は自分のクリニックで治療を受けたくありませんでした。仕事と私情を一緒にしたくなかったのです。しかし、私の住む地域で1番有名な不妊施設が私の病院なのです。とりあえず排卵誘発剤だけでも‥自分の病院を卒業した患者さんに会う確率の少ない隣の市まで行って、産婦人科で誘発剤を出してもらい、エコーで排卵の確認をしてもらうことに。
仕事が終わって、2歳の子供を抱え、病院が閉まるギリギリに滑り込む。こんな生活を半年続けましたが、全く妊娠しませんでした。やはり普通の産婦人科では排卵誘発剤の使い方が十分ではなく、治療内容も納得が行かない日々。
通院にも、精神的にもかなり辛くなっていきました。

泣く泣く自分の病院で治療を開始

仕事と治療の両立が辛く、こんな事をしていても時間の無駄!と判断した私は、決死の思いで自分の病院での治療を開始しました。1年も別の病院で治療をしていたと知ったスタッフは皆ビックリ。
「何でうちでもっと早くからやらなかったの!!」と言われる始末。
ほんと、その通り‥笑
そこから過排卵でのタイミング、人工授精と進みました。二度妊娠するも、流産。流産の宣告を受けた直後に笑顔で患者さんの話を聞く‥‥もう本当に辞めたい。全て辞めたい。仕事も妊娠も。
でも今治療をやめたら、もう子供はできないかもしれない。
本当に精神的に追い詰められ、初めて夫の前で泣きました。


「どうして一人で抱え込むの?子供は二人の問題だろ?俺も一緒に悩ませてよ!俺たち夫婦だろ?」


夫は私の手を握ってそう言ってくれました。今まで自分で全て抱え込んできた気持ちがスッと楽になった瞬間でした。
この時、「体外に進もう」そう決めたのでした。

体外受精に進み、やっと妊娠。流産のトラウマ。

体外に進み、2回目の移植で妊娠した私でしたが、流産の不安がどうしても拭い去れず、毎日が不安でした。
流産した患者さんを見るたびに「次は私の番かも。また流産するのかも。」と怯える毎日。出血してても言い出せず、仕事に来てしまう自分。人に甘えるのが下手くそな自分。
無事卒業できましたが、無理がたたって早産。幸運にも次男は大きな障害なく成長してくれています。

不妊専門施設で働く事で、良くも悪くも不妊の海に溺れた

AMHの結果が悪くても不妊とは言えません。世の中の子沢山の女性で、測ってはいないけど実はAMHが低い人はたくさんいると思います。私はAMHの結果が悪かった事、仕事柄不妊の女性の悩みと隣り合わせでいる事で

「自分もきっと不妊だ!」

と早々に自分を不妊患者にしてしまいました。2人目不妊は私にとっての「職業病」だったのかもしれません。
不妊と思わず、なんとなく自宅で夫婦生活をしていれば勝手に妊娠していたかもしれません。
自分も不妊、仕事も不妊、勉強する事も不妊、寝ても覚めても不妊不妊
不妊の海に溺れていました。それが自分を追い詰めて、かなり精神的なストレスを抱えていたと思います。まさに負のスパイラル。


ただ、早めにその不妊の海に溺れた事で、妊活を早く始められたというメリットもあります。のらりくらりと危機感なく過ごしていたら、あっという間に数年経って、妊娠できない状態になっていたかもしれません。「体外受精」という方法でしたが、こんなにも可愛い次男と出会えた事。それは経験した辛さに変えられない、かけがえのないものです。



不妊」とは経験者しかわからない苦しみだと思います。先の見えないトンネルをさまようような辛さ。
私の経験が誰かの心を少しでも軽くしたり、暗闇の中の小さな明かりになれたらこれ幸い。